明治学院創立記念礼拝式辞(ヘボン塾開設148周年)
明治学院創立記念礼拝式辞
2011年10月29日
理事長 青本 健作
本日私どもの明治学院は、第148回目の創立記念日を迎えました。今日ここに集える、永年勤続の表彰を受けられる教職員の皆さま、卒業後50年を迎えられた同窓生の皆さま、そして全国に散らばっている明治学院の卒業生、学院に関係するすべての教職員、学生の皆さまとともにこの日を心から祝いたいと思います。
申すまでもありませんが、創立記念日は、単にこの日を祝うだけのものではありません。創立記念日は、学院の長い栄光と苦難の歴史また豊かな伝統と教訓を振り返る時であります。そして現在おかれている明治学院の現状を直視するとともに、学院に関係する私たち一人一人が学院の将来に向かって新たなるコミットメントを決意する節目の日であります。明治学院は、振り返るには十分な歴史を持っています。それは近代日本の歴史そのものであり、この学院の歴史と伝統を現代に生かしていくことこそ、私たちの使命であり、責務であります。今私たちは『明治学院創立150周年』に向けて歩みを進めています。これからの数年間、いろいろな企画や行事が予定されています。計画されている事業の一つ一つが、明治学院の存在を世に明らかにし、この日本の社会のみならず世界に向けた奉仕と貢献をなしうるものとなることを願っています。
先ほど、小暮高等学校長によって聖書の一部分が朗読されましたが、今日の創立記念日にあたり、私はヨハネによる福音書第12章の言葉をメッセージとして皆さまにお届けいたします。4つの福音書の中では、ヨハネによる福音書にしか記録されていない、しかし、皆さまもよくご存じの有名な物語です。いわゆる、『一粒の麦』のたとえ話であります。福音書のこの個所は、御子イエスの生と死の深遠な意味を教える奥深い部分、いわば聖書の真髄を述べた個所であります。
しかし、この聖句の解読をすることが本日の私の意図ではありません。実は、私はこの個所を読むたびに、聖書の意味合いとは少し異なりますが、幕末から明治の初めにかけて、高い志を抱いて日本にやってきた多くの宣教師のことを思い浮かべます。20歳代から40歳を超えた人たちまで、メアリー・キダーのように独身の女性宣教師、バラ夫妻のように20歳代の若い宣教師も居ました。たくさんの宣教師がやってきました。その中に、いち早く来日し、また宣教師たちのリーダー格として、日本におけるキリスト教普及に献身したジェームズ・カーチス・ヘップバーン氏とその妻クララがいました。明治学院148年の歴史の基礎を築いたいわゆるヘボン博士夫妻であります。明治学院に携わる皆さまは、すでにヘボン博士のことは幾度も幾度も聞かされてきたことでしょう。『またヘボンか』と思われる人もいらっしゃるかも知れません。一方、多くの日本人にとっては、ヘボン博士は歴史上の人物、ほとんど忘れかけている過去の人であります。しかし、明治学院に携わる私たちは、ヘボン博士夫妻が学院の『隅の親石になった』(詩篇第118編)事実を忘れるわけにはいきませんし、ヘボン博士夫妻の日本での偉大な業績について、私たちは時あるごとに振り返り、心に刻み、また学院内外の人たちにも伝えていくことが求められているのであります。建学の精神を守り伝えていくとはそういうことであります。
私は、今日の創立記念日を前に改めてヘボン博士の伝記や『明治学院百年史』などを読み返しました。著作「ヘボン」を書いたグリフィスは、ヘボン博士の33年間に及ぶ日本での働きを『教師、医師、辞書編纂者、聖書翻訳者、聖者、人々の父として日本人に奉仕した人生後半の時代』と表現しました。ヘボン博士が来日した1859年は、いまだ日本は「キリスト教禁制」の時代です。ヘボン博士の初期の功績は、西洋医学の『医師』としてであり、住まいの一部を施療所として開放し、多くの日本人を治療しました。その中には壊疽に侵された歌舞伎役者の足の切断手術、眼病の治療など世上で評判になったこともありました。まずヘボン博士は医者として日本の地に大きな足跡を残されたのです。
『聖書の翻訳者』としてのヘボン博士の功績も大いに評価されるべきでありますが、この事業には、同じく明治学院の創設に貢献した、ブラウン、グリーン、フルベッキ等多くの宣教師がかかわり、ヘボン博士はそのリーダーとして重要な役割を果たしました。
『聖者』としてのヘボン博士は、日々の生活を通してキリストの教えを日本の人たちに伝え、多くの信仰の徒を得たことはもちろんですが、特に、帰国直前に私財を投じて横濱指路教会を創設することによって、日本のキリスト教界の歴史に一ページを残しています。
『教師』としてのヘボン博士は、まさに明治学院の歴史を刻む礎(いしずえ)となったことは言うまでもありません。来日後、数年にして夫人とともにヘボン塾を興し、明治初期の日本を支えた多くの逸材を輩出しました。また、明治20年、それまで宣教師たちによって創設され発展してきたいくつかの英語学校や神学校を合同して『明治学院』という名のもとに『キリスト教による人格教育』という新しい歴史を刻み始めた時の初代総理として、その名を残しております。すでに74歳という高齢でありながら、週に3~4日、横浜から白金に通われたと云います。
この教育者としてのヘボン博士の功績とともに、私が今日強調したいヘボン博士のもう一つの偉大な功績は、『辞書編纂者』として『和英語林集成』を後世に残したと云うことであります。ヘボン博士は、宣教者として日本にやってまいりました。しかし、彼がその使命を果たすために何よりも重要だと考えたのが、いかにして言葉の壁を乗り越えるかでした。言葉はその国、その民族に育まれた文化です。日本においては『日本語で聖書を語ることによって初めて日本人の心の琴線に触れることが出来る』、これがヘボン博士の信念だったと思います。辞書の編纂を決意したへボン博士は、何人かの日本人の協力を得ながら、数多くの日本の文献を研究したと云います。中には、当時の流行小説から、平家物語などの古典、経済要録、仏教の経典なども含まれていました。また外出の折には、だれかれ構わず人を捕まえては『これは日本語では何というのですか』メモ帳を片手に聴きまくったとも云われています。おそらく多くの日本人から「変な外人」と思われたに違いありません。『和英語林集成』第1版が完成するまでに来日から8年を要しています。しかし、彼を日本に派遣したアメリカのミッション本部は、ヘボン博士のこの信念を十分には理解せず、またその業績を正当には評価しませんでした。要求した印刷機械も拒絶され、これ等の辞書は上海で出版せざるを得ませんでした。出版にかかった費用も認められませんでした。そうした苦しい環境の中で出版された英和・和英辞書は日本に派遣された初期の宣教師ばかりでなく、多くの日本人からも大変な歓迎を受けました。爆発的売れ行きであり海賊版まで出たと云われます。
こうしたヘボン博士の33年間にわたる日本での働きから、私たちは何を学び、また何を現代に生かし、何を将来に伝えていかなければならないのでしょうか。ヘボン博士の生涯から、多くのことを学ぶことが出来ますが、その中で私は今日、次の三つのことを申し上げたいと思います。
その一つは、『使命感』を持つことの大切さです。若くしてアジア伝道を志し、妻クララの健康の為、一度は志半ばにして米国に帰国したヘボン博士は、その後NYで医師として名声を博し、社会的地位も名誉も富も得た成功者でありました。そのヘボン博士が人生の後半期に入った44歳にして、これ等一切のしがらみを投げ打って、当時いまだキリスト教禁制の日本に身を投じたことは、ヘボン博士の大いなる使命感によるものであったと思います。言葉を代えれば、神の導きであったともいえます。現在明治学院に携わる教職員、同窓生の皆様方は、このヘボン博士の『使命感』に思いをはせることが大切であります。
二つ目は、異文化・異民族に対する限りない『好奇心』と未知の世界に向かう『挑戦の精神』であります。人生のいかなる年代においても、挑戦の志と好奇心を失わないこと、これは人生を豊かにすることであり、生涯教育の最も重要な姿勢であります。ヘボン博士夫妻に限られることではありませんが、幕末から維新にかけて来日した宣教師たちの行動には、異文化に対する限りない好奇心、いや愛着といってもいいほどの熱意を感じます。そしてまたその根底にはキリストの信仰を知らない人たちへのキリスト教宣教という挑戦の志があったと云うことです。現代の私たちに欠けているもの、教育の世界に身を置く私たちが若い世代に教えなければならないこと、それは未知なるもの・異文化や異なる世界に対する大いなる好奇心であり、未知の世界に対する挑戦の精神ではないでしょうか。ヘボン博士は、異郷の地に身を投じ、自らを捨て石としたのです。自ら「一粒の麦」となったのです。このヘボン博士の献身を明治学院の枝に連なる私たち一人一人が、今日の創立記念日に今一度思い起こすべきであります。そして若い世代に語り伝えていくべきであります。
第三の点は、少し違う角度からヘボン博士の精神を現代に生かすことの重要性を話したいと思います。それは『語学の明治学院』を再認識し、これをいかにして高めていくことが出来るか、であります。明治学院は、長い歴史の中で、多方面にわたる優れた人材を送り出しました。その源が『語学』だけだったとはいえません。しかし、ヘボン博士夫妻が始めた塾は英語を教える塾でありました。また現在に至るまで『語学の明治学院』と多くの人に評価されてきた、その原点にあるものは、言葉の壁を乗り越えるためにヘボン博士が心血を注いだ『和英語林集成』の出版にあったと私は思います。また、『明治学院』という名のもとに再出発した折、創立趣意書には「普通学部は英語により完全な訓練を施し云々・・・」と書かれています。当時まだ外国からの宣教師が教員の多くを占めていたとはいえ、すべての授業が英語でなされていたことは現代に照らし合わせても大変なことだと思います。その後の明治学院の大学の設立、中等部の分離・独立に当たっても、その教育方針の第1条に、キリスト教に基づく教育とともに英語による教育がうたわれています。この歴史が、今日の明治学院の伝統を支え、大きな評価を勝ち得た出発点だったのです。
現代の日本の教育の世界においては、世に誇れる特色ある教育を掲げることが出来なければ学院は生き延びていくことはできません。おそらく『語学の明治学院』は、私たちに残された数少ない選択種の最後の砦かもしれません。しかし、現在私たちは、先人が打ち立て、継承し、社会から評価されてきた『語学の明治学院』の旗印を胸を張って掲げることが出来るのでしょうか。残念ながら現在の状況はそのようには見えません。何が足りないのか、何をしなければならないのか、いまや私たち一人一人が真剣に考えなければならない時です。
創立150年の記念行事として、私たちはヘボン博士の『和英語林集成』復刻版の出版を計画しています。また、150周年を前に掲げられた『一貫教育宣言』には、21世紀の世界市民の育成という決意が掲げられています。キリスト教を基礎とする教育の中で私たちは若い世代に、現代まさに必要とされるヘボン博士の使命感に触れ、博士の挑戦の志を語り伝えるとともに、『語学の明治学院』の伝統を再認識し、これをさらに高めるべく一致団結して努力して行こうではありませんか。学院が私たちに何をしてくれるのかを期待するのではなく、私たち一人一人が、学院のより豊かな教育の為に何が出来るのか、学院の明日の為に何をコミットできるのかを考えていただきたいと思います。
ご静聴ありがとうございました。神様の豊かな御恵みが皆さまの上にありますように。





